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大里古銭(海陽町)
地中に現金埋め保管   2008/9/10 10:31
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大里古銭(海陽町) 一九七九年二月二十六日、海南町(現海陽町)大里の民家の敷地から備前焼のかめに入った古銭が見つかった。古銭は七万八十八枚に上り、四国一の出土数。かめの製作時期などからみて十四世紀中期から後期の南北朝時代に埋められたと推定される。

 古銭の種類も豊富で、一世紀から十四世紀にかけて鋳造された八十一種類に及ぶ。このうち九割が宋銭で、七六〇年に日本で鋳造された萬年通寳(まんねんつうほう)などの皇朝銭(こうちょうせん)や朝鮮、ベトナムからの渡来銭も含まれている。

 中でも唐銭の開元通寳(かいげんつうほう)は、日本で最初の貨幣として知られる和同開珎(わどうかいちん)のモデルになったことで有名。最も古い貨泉(かせん)は紀元一四年に中国の新王朝で鋳造され、弥生時代の遺跡から出土することが多い。

 出土した古銭は当時の日本で流通していたとみられ、現在の価値に換算すると五百二十五万円ほど。これだけの古銭が発見されたこの地では、海上ルートを利用して中央と頻繁に交易があったことがうかがえる。

 誰がどのような目的で古銭を埋めたのかはっきりしないが、海陽町立博物館の郡司早直学芸員は「金庫のない時代に現金を安全に保管するため埋めたという見方が有力」と話している。

 古銭は町立博物館で展示されている。
【写真説明】海陽町立博物館に展示されている大里古銭=同町四方原