幕末の1829(文政12)年、海部郡沖に外国船が現れた。海部郡代は牟岐港を拠点に厳重に警備を堅め、半鐘やほら貝を鳴らして警告するも立ち去らず、出現から3日目にして大筒、小筒を一斉に発射。距離が遠く命中しなかったが、船は帆を上げ沖合に去ったという。
「日和佐町史」によると、ペリーの来航から約20年前のこのころから、阿波沖にも頻繁に外国船が出没していたらしい。美波町の日和佐図書・資料館で保存している遠眼鏡は、幕末の混乱期に県南の海防の一端を担った貴重な歴史遺物だ。
遠眼鏡は全長90センチ。紙製の3本の筒で構成され、筒の縁は真ちゅうを巻いて補強している。先端のレンズが欠落し、筒同士が外れるなど傷みは激しいが、1847(弘化4)年の日付が記された箱が現存し、箱書きから来歴が分かる。
それによると、遠眼鏡は07年、徳島藩から海部郡代に移管。沿岸警備の第一線である牟岐浦の大島番所や、宍喰浦の竹ケ島遠見番所で使用されたとみられる。レンズの曇りを修繕した43年以降は、現在の美波町役場の位置にあった郡役所・日和佐御陣屋で保管、使用されたようだ。
当時は「異国船打ち払い令」のもと、同町にも多くの砲台が設置されたとされるが資料はほとんどない。遠眼鏡だけが、鎖国から目覚めようとする幕末の地方実情をわずかにしのばせている。【写真説明】幕末、県南部の海防の一端を担った遠眼鏡=美波町の日和佐図書・資料館