東みよし町西庄鍛冶(かじ)屋敷地区の旧祖谷街道沿いに立つかじやしき地蔵。江戸時代末期の百姓一揆で犠牲となった農民3人の霊が祭られ、今も住民に親しまれている。2004年に町の文化財に指定された。
農民3人が犠牲となったのは、1841(天保13)年1月に起こった加茂山騒動。凶作や厳しい年貢の取り立てに耐えかねた3人の農民が一揆を計画、3日間で4千人が参加し、3軒の庄屋を襲った。
捕らえられ獄死した3人の霊を供養するとともに、これ以上の犠牲者を出さないように、との祈りを込めて1849(嘉永2)年に近くの長善寺の住職宥壌(ゆうじょう)が地蔵を建てたという。
地蔵は2段に組まれた石積みに立つ6角塔柱の上に座っており、右足を左足の上に組む「半(はん)跏(か)」と呼ばれる格好。左手は手首から先が欠けている。石積みを含めると高さは3メートル以上もある。
農薬が普及していなかった時代には「虫よけ地蔵」とも呼ばれ、住民は害虫から作物を守る地蔵守札を竹の先に挟み、水田に立てていた。
毎年地蔵盆の前日にあたる8月23日には地元住民によって法要が営まれる。地域を見守る地蔵に線香と花を手向け、読経を上げている。【写真説明】百姓一揆の犠牲者が祭られているかじやしき地蔵=東みよし町西庄