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午前八時前。町外からの乗用車が列をなして櫛渕の田園地帯を走り抜ける。車は東西に伸びる県道をやがて北に外れ、山あいに向かう一本の市道へ次々と吸い込まれていく。ほとんどが菌床シイタケの栽培場従業員のものだ。
全国一の出荷量
徳島県の菌床シイタケ出荷量は年間約七千トンといわれ、日本一を誇る。櫛渕は、三分の一を担う県内の最大産地で、約二十業者がひしめき合っている。そのシイタケ栽培を地域に根付かせたのは、農業法人の一つ「浜田農園」会長の浜田保徳さん(51)だ。
「交通混雑を招き、地域の皆さんには本当に迷惑をかけています」。浜田さんは申し訳なさそうにこう話した。一方で、三十年にわたって櫛渕のシイタケ栽培をけん引してきたという自負ものぞく。
脇町の酪農家で生まれ育った浜田さんは、一九七八年に婿養子として櫛渕に移り住んだ。当時の浜田家は地元の他の農家と同様にミカン、タケノコ、ヤマモモを栽培。タケノコは早朝から晩まで掘り続け、ミカンには夏場に雨がっぱを着込んで農薬散布・・・などの重労働を体験した。
「このままでは農業に若い担い手が出てこない。若手がいなければ農業に明日はない」。危機感を抱いた浜田さんは県農業大学時代の先輩にアドバイスを求め、八〇年に原木シイタケの栽培を始めた。
八七年ごろから菌床栽培に切り替え、順調に生産量を伸ばし始めると、地域ではシイタケ農家が徐々に増え、九〇年代初めには浜田さんを含めて四軒となった。阪神市場に供給を始めた九四年、産地化を目指して櫛渕椎茸(しいたけ)組合を設立した。
「循環型」目指す
組合が軌道に乗り始めたころ、「もっと規模を拡大したい」との思いを胸に、浜田さんは組合を飛び出した。九七年には有限会社浜田農園を興し、二〇〇〇年には株式会社に。〇一年には路線を同じくする七軒でサンマッシュ櫛渕協同組合を新たに設立し、生産拡大を進めた。組合は現在、十三軒が年間一七〇〇トンを生産する一大グループとなっている。
五十歳を迎えた昨年、次に歩みを進めようと、浜田農園の社長を長男(28)に譲った。現在取り組んでいるのは、廃棄する菌床かすを使ったアスパラガス栽培で、循環型農業の確立が新しい目標だ。
日本有数の菌床シイタケ産地となった櫛渕をけん引してきた浜田さん。「農業の素晴らしさや可能性を櫛渕から広げたい」と力強く話し、さらなる情熱を燃やしている。(小松島支局・寺西武士)【写真説明】櫛渕に菌床シイタケを根付かせた浜田さん=櫛渕町中田