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阿讃山脈の南斜面、標高550メートルに加工場はある。堅めで、にがりがほのかに香る昔ながらの味で人気の「横倉とうふ」は、ここで生まれる。
美馬市脇町横倉の女性たちが「横倉生活改善グループ」を結成したのは1969年。結成当時、山の生活は不便極まりなかった。道が悪く、車は集落の下に止めて、山道を歩いた。水は山から簡易水道で引っ張った。
日本列島が高度成長に沸き、農村で過疎が始まりかけた時期と重なる。グループの加工部長を務める中川竹子さん(72)は「このままだったら、若い人に見放されると思ってな。結束を高めて、地域をよくしようと女性全員でグループをつくった」と話す。
道路改良の陳情、自動車免許の集団取得、共同炊事、調味料の共同購入など、生活の不便を補おうと知恵を出し合った。そんな中、豆腐づくりは81年4月に始まった。
加工場建設には借金が必要だった。借金をしてまでの起業に、猛反対する地域の男性たちを、女性の熱意が押し切った。
豆腐を選んだのは、地元で大豆が採れたから。以前は各家庭で石うすを使って大豆をすり、豆腐をつくっていた。その味を再現しようと考えた。とはいえ、農村の女性に商売のノウハウがあるわけではない。軌道に乗るには時間がかかった。
最初は集落内だけで安く提供していた。だが、それでは収益が上がらず、日当が豆腐1丁という時期もあった。中川さんは「『あかん、借金が返せんわ』となった。農家のおばちゃんの計算やけん、ほんなもんじゃ」と豪快に笑い飛ばす。
神社でのバザーに出掛けたり、役場に売りに行ったりと行動範囲を広げるうち、集落外に仲間が増えた。そして念願の販売拠点「夏子いなか市」が、99年4月に同町西俣名の夏子ダム湖畔に完成した。豆腐をつくり続けて30年。今は1丁200円を8カ所で販売している。
豆腐づくりの朝は早い。午前4時半には女性たちが加工場に集う。当番は3人。大豆をすりつぶし、炊いて布でこし、豆乳とおからに分ける。豆乳ににがりを加えて固め、型枠に入れ、重しをする。「固まったところをすくって食べる寄せ豆腐が一番おいしんでよ」と中川さん。加工場にいる人だけの特権だ。
一部機械化されたが、できを左右する、にがりで固める作業などは女性たちの経験が頼り。一連の作業でできるのは25丁。これを繰り返し、年末は300丁を超える。
10月13日の当番は「たけちゃん」(中川さん)、「たかえさん」(藤岡孝枝さん=64)、「みっちゃん」(金崎光子さん=62)の3人。女性たちは名前で呼び合う。「先輩が頑張ってくれるから、私らも頑張れる。何でも言えるし、けんかもしょっちゅうよ」と話す、みっちゃんの言葉からは家族同様につきあう女性たちの姿が浮かぶ。
大豆は、基本的に地元産。不足すれば県内産を調達する。台風が相次いで徳島県に上陸した2004年は県内産を合わせても足りず、九州などから取り寄せた。コスト高に悩んだが「自分たちが我慢すればいい」と賃金を削ってつくり続けた。
冬場、道が凍れば男性たちが協力してくれる。ピーマンやミニトマトを収穫する夏の農繁期など、体力的にきついときもある。「豆腐を待ってくれとる人がおるけん、続けようってパワーが沸く」と中川さんは言う。
田舎だんごやみそ、リンゴジャム、わらびもちなど、横倉が生み出す地域ブランドは数多い。土・日曜、祝日は「うだつの町並み」に横倉にこだわった店を構える。実演販売される豆腐田楽、ジャガイモ田楽が道ゆく観光客の食欲を刺激する。
脇町史によると、1972年の横倉は32戸だった。現在は29戸。「割と減ってないでしょ」。中川さんが、誇らしげにほほえんだ。(編集委員・門田誠)【写真説明】早朝から豆腐作りに精を出す中川さん(右)ら=美馬市脇町横倉