城郭を思わせる頑丈な造りの第十樋門。完成から100年近くたった今でも現役で、治水の要になっている=上板町佐藤塚

 徳島市の吉野川大橋から北岸堤防上の道路を車で30分余り西へ進む。上板町に入り第十堰(ぜき)が見え始めて間もなく、右に大きくカーブする場所で信号機を目にする。

 

 初めて訪れる人は「何でこんな堤防の上に信号機?」と思うだろうが、1車線しかない「橋」を交互に通行できるようにしている。橋の下部にあるのが、吉野川と旧吉野川の分岐点である「第十樋門(ひもん)」だ。

 吉野川に関する書籍や周辺の市町村史によると、第十樋門は大正時代の1919年に着工され、23年に完成した。別宮川と呼ばれていた現在の吉野川(32年に改称)から、かつての本流だった旧吉野川に安定して水を流すために造られた。

 生活用水を確保するとともに、海水からの逆流によって引き起こされる農地への塩害を防ぐ。一方、本流の洪水時にはゲートを締め切り、旧吉野川流域の氾濫を防止する。

 高さ5・8メートル、幅33メートル。完成当時は、日本一大きい樋門として威容を誇った。95年たった今でも劣化を感じさせない、重厚なコンクリートの柱と六つの鉄のゲートは西洋の城郭を思わせる。流域住民の暮らしを守り続けてきた迫力も漂わせている。