徳島市出身の人類学者鳥居龍蔵の親族の鳥居貞義さん(82)=大阪府守口市=が、日露戦争で亡くなった軍人の戦死公報を収集・展示する記念館の開設を県内で計画している。徳島市から旅順(中国)に出征し、27歳で最期を遂げた祖父の公報を自宅で見つけたのがきっかけ。戦死公報は一人一人の戦いぶりが詳細に記された貴重な資料で、多くの人に日露戦争を見つめ直してもらいたい考えだ。
鳥居さんは4月、自宅を整理していた際に父親が使っていたロッカーの奥から、古びた封筒に入った戦死公報と、武功のあった軍人に与えられる金鵄(きんし)勲章を見つけた。
封筒に記されていた宛先は徳島市船場町にあった祖父鳥居利八郎の実家。送り主は県出身の兵士で構成された第11師団歩兵第43連隊の芝仁三郎少尉で、1905年1月3日に軍事郵便の至急報で旅順から発送し、同14日に届いていた。
封筒の中に和紙の巻物が入っていた。戦死公報と分かり、専門家の指導を受けながら3カ月ほどかけて解読した。祖父は、乃木希典将軍が二百三高地の攻略を目指した激戦で知られる旅順攻撃で負傷を押して戦い、敵の塹壕(ざんごう)に突入したと記されていた。
寄贈先を探したがふさわしい施設が見つからず、自ら記念館の開設を目指すことにした。徳島市の県護国神社や県内の廃校舎の利用を検討している。
防衛省防衛研究所(東京)によると、日露戦争の日本側の戦死者数は史料によって異なるが約10万人前後に上る。旅順攻撃では3千~5千人、鳥居さんの祖父が所属していた43連隊は600~800人が戦死した。それぞれの遺族に戦死公報が送られ、保管されているとみられる。
鳥居さんは「鳥居龍蔵を考える会」を主宰するなど龍蔵の顕彰活動を続けており、自らの命を賭して大国との激戦を勝利に導いた人々も顕彰できればと願うようになった。「戦死者の子孫と協力し、小規模でも内容の充実した施設にしたい」と話す。
鳥居さんは全国の遺族から戦死公報を募っている。問い合わせはメール<HQP00473@nifty.com>。