[写真上]地元住民と記念撮影に収まるスタール博士(前列中央)[写真下]スタール博士が四国八十八カ所巡りで平等寺を訪れたことを回想した資料=いずれも阿南市新野町の平等寺

 米国の人類学者フレデリック・スタール博士(1858~1933年)が、21年に四国遍路で阿南市新野町の22番札所・平等寺を訪れた際、地元のボーイスカウトの子どもらと交流した様子を記した当時の資料が同寺で見つかった。手厚いもてなしに感激し、米国の子どもらに日本との友好の大切さを伝えようと博士がまとめた。研究者によると、博士は文献に記録が残っている中で最も古い外国人遍路。博士に関する資料は日本ではほとんど確認されておらず、貴重だという。

 資料は、縦21センチ、横21・5センチほどの1枚の紙。「日本の少年たちからアメリカの少年たちへ」とのタイトルを付け、表と裏の両面に英文や写真などが印刷されている。17年に続いて21年2~3月に2度目の四国遍路を行った時のことが書かれている。

 印象に残った出来事として、平等寺での交流を詳しく紹介。2月26日に同市新野町を訪れると、住民が出迎えて花火を上げて歓迎してくれ、翌朝にはボーイスカウトが集まって見送ってくれたと書いている。寺の前に団員が整列して日の丸と星条旗を掲げる写真と、ボーイスカウトの団長が博士に贈った手紙の原文と和訳文も掲載。手紙は博士が四国遍路に訪れたことに感謝する内容だった。

 平等寺の谷口真梁副住職(37)が本棚を整理していて見つけた。「新野町民史」には、博士が帰国後に自費で資料を作って米国のボーイスカウトらに配り、そのうちの数十枚を新野町のボーイスカウトに贈ったとの記述がある。しかし、資料はその後に散逸して確認されていなかった。

 博士は研究テーマの一つだったアイヌ民族について調べるために何度か日本を訪れるうちに四国遍路をしたとみられている。

 谷口副住職は「約100年も前に外国人がお遍路さんとして寺を訪れ、住民と親密に交流していたことに驚いた。広く見てもらえるよう展示することも検討したい」と話している。