死としっかり向き合う、すぐそこに迫った死を受け入れる。死生観が多様化する昨今、しばしば見聞きする最後の生き方である。誰もが簡単にできることではない。けれど、この人は驚くほどの自然体で貫いた。きょうも樹木希林さんをしのぶ
一昨年、新聞に載った企業広告が話題になった。森を流れる清い川面に、青いドレス姿の樹木さんが身を横たえている。英国の画家ミレイの油絵「オフィーリア」を模したのだが、広告のコピーが強烈だった。<死ぬときぐらい、好きにさせてよ>
死を迎え生気が抜けたオフィーリアの顔とは対照的に、樹木さんは微笑を浮かべている。がんの全身転移を公表したのは、これより3年前のこと
笑みの意味は広告に添えた言葉にあった。<死を疎むことなく、死を焦ることもなく。一つ一つの欲を手放して、身じまいを>。背筋が伸びる。思い通りの、穏やかな最期だったという
きょうは正岡子規の命日「糸瓜忌」である。子規も亡くなる3カ月前、死を達観する言葉を残した。<悟りという事は、如何なる場合にも平気で生きて居る事であった>(「病牀六尺」岩波書店)。死を意識したことで、平然と生きる境地に。樹木さんと通じる面がなかっただろうか
ヘチマには「悠々自適」の花言葉がある。子規はもちろん、樹木さんにもしっくりと合う。