「体験を語る人が少なくなっている今、悲惨な出来事を伝えておきたい」と話す鳴鬼さん=小松島市和田島町の自宅

 第2次大戦後にシベリア抑留を経験した鳴鬼仁人(なるきまさと)さん(91)=小松島市和田島町=が8日、同市立江町のふれあいセンター立江で、71年前の自身の体験を初めて語る。市内の抑留体験者は75人いたとされるが、大半が他界している。「戦争の悲惨さを伝えておきたい」と、戦争体験者の講演を企画した市民グループ「たつえ歴史教室」からの要請に応えた。

 鳴鬼さんは1945年2月、旧満州の関東軍1215部隊に配属され、終戦直前に侵攻した旧ソ連軍の捕虜となった。シベリアでは収容所を転々とし、森林伐採や鉄道敷設などに駆り出された。過酷な労働と寒さにより多くの捕虜が亡くなり、死体を埋める穴を掘らされることもあった。

 「人としての生活が許されなかった」。風呂にはほとんど入らせてもらえず、食事は食器の底が見えるほどしかない。空腹を紛らわせるため、雪をかぶせて食べた。虫や小動物を口にすることもあったという。厳しい抑留生活に耐え、帰国を果たしたのは47年1月だった。

 以来、人前でこの経験について語ることはなかったが、昨年12月、たつえ歴史教室から講師の要請があり、「自分の体験談が役立てば」と引き受けた。

 講演会では、同じ部隊でいて抑留を経験した阿南市那賀川町の小西恒一さんも参加する予定だった。2人で互いの体験を話し合うなど準備していたが、小西さんが今年3月に91歳で死去。講演会には1人で臨むことになった。

 鳴鬼さんは「終戦から70年が過ぎた今こそ、あの時代に起こった出来事を語り継がねばならない。小西さんが亡くなり、その思いがより強くなった」と話している。

 講演は午後1時半から。鳴門市の抑留体験者、樫原道雄さんが再現したシベリア抑留者の主食「黒パン」の試食もある。参加無料で資料代100円。

 問い合わせはたつえ歴史教室の廣田正大さん<電0885(37)1544>。