家に帰ると、長年の習性でテレビをつけてしまう。ふと、古びた時代劇の再放送に、はまってしまった。なんて心地の良いワンパターンだろう。水戸黄門、銭形平次、鬼平犯科帳、遠山の金さん

 そろそろと思ったころに悪者をやっつけて一件落着。家族で1台のテレビを囲んだ遠い記憶がよみがえる。大岡越前と言えば南町奉行、金さんは北町、テレビっ子の常識だった

 しかし、南町奉行所が東京・JR有楽町駅の南口付近にあったことは最近知った。そのお隣は、徳島藩のお殿様、蜂須賀家の江戸屋敷だ。敷地は広く、駅の大半と、銀座側の東京交通会館から、日比谷側のビルまで及んだ

 交通会館には都会の人々を地方に呼び込む「ふるさと回帰支援センター」がある。全国各地のアンテナショップも集う「都心の地方」が、徳島ゆかりの土地だったと知り驚いた

 果たして、江戸のど真ん中での住み心地はどうだったのだろう。幕府は大名に敷地を与える代わりに、参勤交代を強要した。妻や子は江戸で人質に。殿様の首根っこを押さえた

 幕府を倒した薩長新政府は、江戸城周辺に広がる大名屋敷を接収。官庁街や軍用地に変え、そこは官僚、軍人の牙城になった。維新から150年。軍人の専横や幾多の汚職に見舞われながら、心地の悪い権力ドラマが、今も繰り広げられている。