初采配ながらチームを2年ぶりの優勝へ導いた。「皆さん、おめでとうございます、という感じでしょうか」。少し他人行儀なレース後の感想だが、奮闘した選手と市橋賢治前監督らの支えのおかげで勝てたという気持ちがにじみ出ていた。

 鳴門二中陸上部の顧問も務める。「裏方」の指導者を理想とし、選手より目立つのは本意ではない。だから、胴上げも辞退し、宙に舞うアンカー選手を見守った。それでも徳島駅伝の監督という大役を引き受けたのは、中学生選手の育成を市橋前監督から託されたからだ。

 自身は大麻中2年から鳴門高3年まで徳島駅伝に5度出場し、走る楽しさを覚えた。その魅力を多くの中学生に発信したいと考えている。新たな試みとして、毎週末に誰でも参加できる陸上教室を実施。熱心に通って成果を挙げた中学生もおり、中学総合では昨年の13位から4位へと飛躍した。

 総合優勝も含め期待に応えたが「本当は順位はどうでも良かった」と本音を明かす。背景には自身の苦い体験がある。高校時代、3000メートル障害で全国総体3位に入るなどの実績を残した。しかし、順大に入学後は体調不良やけがに見舞われ、選手継続を断念してしまう。以来、故障防止や競技生活の継続に重きを置くのが信条になった。

 今回も2度目の出走を願い出た有力選手の体調をおもんぱかり、断ったことも。「チームを思う気持ちはありがたいけれど、楽しく無理なく走ってほしい。それが、競技力の底上げにつながると思う」

 徳島市かちどき橋6で妻と2人暮らし。38歳。