昭和南海地震で被災した檀家のため、光明寺が送った賦課金免除の嘆願書の控え=阿南市橘町

 1946年12月21日の昭和南海地震で被災した阿南市橘町荒神ノ上の光明寺で、当時の住職が宗門トップの高野山(和歌山県)に賦課金の免除を懇願したことを示す書類が見つかった。津波による檀家や地域の被害状況を「被害3千万円」「堤防が崩壊」などと詳述しており、県立文書館は「昭和南海地震の被災実態に迫るもので、非常に貴重な資料」としている。

 寺に残されていたのは「災害檀徒寺院賦課金減免願」の控え。地震から約2カ月後の47年2月15日の日付があり、「控」と記されている。賦課金は本山の運営のため各寺が毎年納める負担金で、嘆願書は当時の浅川義雄住職や檀家総代ら5人が、高野山真言宗の管長に送った。

 冒頭、町の様子について「大津波に全町が飲み込まれ、その被害は言葉に言い表せないほどだ」と説明。さらに▽檀家の被害総額は3千万円▽復興には約5年かかる▽全ての檀家377戸が床上浸水し、その半数が破壊された▽海水に浸かったため45万平方メートルの田んぼで耕作ができなくなった▽堤防が2キロにわたって崩壊-などと被災状況を箇条書きで記している。46年の県予算が2億900万円であったことから、3千万円という被害額の大きさがうかがえる。

 寺は屋根瓦が落ちるなどしたものの、山の中腹にあるため津波被害はなかった。檀家の被害が大きく、賦課金の捻出が難しかったとみられる。

 今年3月、浅川雄康住職(71)が本堂改修に合わせて事務書類を整理していて発見した。浅川住職は減免願を出した義雄氏の次男で当時2歳。「子どもだったこともあり、被害の様子はあまり知らなかった。地元を襲った災害を後世に語り継ぐため大切に保管したい」と話す。賦課金減免が認められたかどうかは確認できないという。

 南海地震の史料調査に取り組んでいる県立文書館の徳野隆主幹(56)は「戦後の混乱期で物資もなかったため、地震に関する資料は自治体の公文書に若干残されているだけ。地域の詳細な被災状況を知る上で学術的にも非常に貴重」と驚く。

 昭和南海地震で、橘町を含む現在の阿南市域では4人が亡くなり、家屋の流失・全半壊は174棟に上った。