日本海に至る直前、長城のような新潟砂丘が越後平野を阻む。拉致被害者・横田めぐみさんの通っていた中学校は、新潟市の中心部にも程近い、砂丘の上まで広がる閑静な住宅街、坂の途中にある

 そこから歩いて10分ほど。2車線の道路を上り詰めれば、めぐみさんの自宅があった場所に着く。向こうへ下れば海。近くには護国神社と松林

 1977年11月15日、めぐみさんはバドミントン部の練習を終え、この道を下校中、友人と別れた直後に消息を絶った。自宅まであと数分の所である。午後6時半ごろとされる。11月の新潟は、午後4時半ごろには日没を迎える。人一人の人生を変えるには、十分な暗さだったのだろう

 地元・新潟日報の記者は言う。「神隠しのような事件に当時、子どもたちは『ソ連に連れて行かれたのではないか』とうわさした。北朝鮮など大して意識になかった」。めぐみさんとて同様だったはず

 見知らぬ国に縛られたまま、程なく41年になる。きょう10月5日は、めぐみさんの誕生日。13歳の少女も、もう54歳になった。帰りを待ちわびる父滋さんは85歳、母早紀江さんは82歳

 拉致問題の早期解決を訴えて、新潟では毎年この時季、同級生らがコンサートを開いている。徳島市でも13日から、沖洲マリンターミナルビルで写真展がある。思いを新たにしたい。