髙橋敏夫さん

 鳴門市大麻町の板東俘虜(ふりょ)収容所跡にあるドイツ兵慰霊碑の墓守をしていた髙橋敏夫(たかはし・としお)さんが6日午前7時2分、多臓器不全のため鳴門市の病院で死去した。82歳。自宅は鳴門市大麻町桧尾山谷125―2。葬儀・告別式は8日午前10時から、藍住町徳命名田448―1、藍住ベルベ玉鳳院で。喪主は妻文子(ふみこ)さん。

 朝鮮半島(韓国・梁山市)で生まれ、終戦後に徳島に引き揚げた。板野高校を卒業後、藍住町の自動車部品製造会社で勤めるなどした。

 1948年に石碑を見つけた母の故春枝さんから墓守を受け継ぎ、週1回、文子さんと共に慰霊碑の掃き掃除や献花を続けた。

 墓守のボランティアを募っている板東地区自治振興会の木村正美副会長(62)は「2代にわたって墓守を続けられ、人間愛にあふれた方だった。今後も天国から見守ってほしい」と話した。