失敗を恐れて挑戦しなければ、挑戦しないことによる失敗が近づく。

 親父が町の電気屋だったんです。小学校低学年で電子工作を教えられ、高学年でファミコンがはやるとなぜかコンピューターがわが家にやってきた。「これからはコンピューターの時代だ。ゲームも作れるらしいぞ」って。

 独学でプログラミングを覚え、中学生のときにはゲームを作って雑誌に投稿し、お金を稼ぐようになった。将来はコンピューターで飯が食えるようになるといいなと思い高専に進学した。勉強の傍ら、家業の屋号を借りて民間企業のシステム開発を請け負った。

 セキュリティー技術に関心を持ち始めたのは徳島大編入後。当時はインターネットが普及し始めたばかりで、どこにでも簡単に侵入できる状態だった。このままだと大変なことが起きると思い、専門の医療画像工学とは別に、個人的にセキュリティーの勉強を始めた。国内には研究者がいなかったので、ネットを介して海外の仲間と研究に励んだ。

 米国のセキュリティーベンチャーからスカウトを受けて渡米したのが2003年。世界中から集まった腕利きの技術者に囲まれて充実した日々を送った。でも日本市場の開拓を任されることになって考えた。日本では相変わらずセキュリティーの研究開発をやる会社がなく、米国から輸入した技術を展開するだけ。このままでは日本はグローバル企業にとっての単なる市場になってしまう。安全保障の観点からも、自らで問題解決できる能力を持たなくていいのか-。結局帰国して、起業した。

 私はエンジニアなので経営のことは何も分からなかったけど、「覚悟」はした。事業が失敗したら自分がどうなるか、他人に、業界にどんな迷惑を掛けるか、それを飲み込む「覚悟」。今でも失敗の恐怖は常にある。でも失敗を恐れてチャレンジしなければ、チャレンジしないことによる失敗が近づく。今の徳島がそれだ。

 徳島が新しい何かを生み出すためには、大学に眠るシーズをどんどん活用することだ。種が芽を出すところまでは研究の中ででき、事業化に対するリスクが低い。それをビジネスとして、お金に換える仕組みづくりを進めるしかない。

 うかい・ゆうじ 徳島大学大学院工学研究科博士後期課程修了後、コダックの研究開発センターでデジタルイメージングデバイスの研究に従事。2003年、米国のイーアイ・デジタル・セキュリティー社に転職し、脆弱性診断技術などの研究開発を手掛ける。07年、FFRIを設立。独立行政法人情報処理推進機構の研究員(非常勤)を兼務するほか、政府の情報セキュリティー関連プロジェクトの委員を歴任する。阿波市出身。43歳。