【第13回】部活仲間との再会 気持ちは「高校時代」に
高校時代、僕はハンドボール部に所属していた。二つ年上の兄が先に入っていて、誘われたのだ。
練習は厳しかった。中京大学ハンドボール部出身のコーチは当時まだ20代だったはずで、チームを強くしようと血気盛んだった。僕が通っていたのは、あの池田高校。運動場の9割は野球部が占拠していた。僕たちはその片隅で野球部に負けないくらい走らされた。
平日は授業が終わったら即練習。休日は午前と午後の2部練習。雨になると休めるかといえば、そうは問屋が卸さない。新築されたことで誰も使わなくなり、取り壊される予定の古い体育館で練習は続いた。毎日疲れ切って、授業中は寝てばかりいた。
連休になると、岡山や奈良の強豪校へ遠征し合宿。夏休みなどの長期休暇になると地獄だった。毎日朝から晩まで走りっぱなし。まだまだ根性論が根強く残っていたころで、ろくに水も飲ませてもらえない。両足がつって立てなくなる者、昼間食べたうどんを吐く者、まさに試練だった。
僕を含めて10人以上いた新入部員は、その厳しい練習に耐えかねて一人、また一人と部を抜けていった。僕たちの学年で最終的に残った部員は7人。人数が減れば減るほど、残された部員の結束は強まってゆく。そんな過酷な練習のかいあって、先輩たちも含めて3年連続で全国高校総体出場を果たすことができた。
3年間、親といるよりも長い時間を一緒に過ごした部員たちだったけれど、卒業してしまうと、進学や就職でめったに顔を合わせなくなってしまった。集まるのはせいぜい誰かの結婚式ぐらいで、それも2、3人出席したらいいところ。皆、自分の生活が忙しい。
それがこのたび、一人の部員の掛け声で、奇跡的に7人全員が集まれることになった。場所は有馬温泉の古い旅館。東は仙台、西は広島から、元部員が顔を合わせた。7人全員が集まるのは高校卒業して以来、およそ四半世紀ぶりである。
緊張するかと思っていたら、再会して5分で一気に高校時代に戻ってしまった。皆、外見こそ老けたが、性格は驚くほど変わっていない。温泉にも入らず、畳の上にあぐらをかいて酒を飲んだ。
次から次へと思い出すことがあふれてくる。子どもが3人いるやつもいれば、3回離婚したやつもいる。幸も不幸も一緒に笑い飛ばせるのは、あの過酷だった練習を共に乗り越えた経験があったからだろう。
記憶で遊び過ぎるのはややもすると後ろ向きで危険だが、たまにはいい薬になる。酒と似ているかもしれない。眠ったのは午前3時。かつて遠征合宿でそうしていたように、畳に布団を7枚敷いて川の字になった。
翌日、皆で外湯に漬かって、昼すぎに新神戸駅で別れた。次に全員そろうのはいつになるのか。生き続ける中での小さな慰めがまたひとつ増えた。(徳島県三好市出身)=月1回掲載