【第14回】後輩に伝えたかったこと 欲隠さず がむしゃらに
5月10日、母校の池田高校の開校記念講演会に講師として呼ばれ、高校生たちと交流してきた。
僕のようなものぐさな脚本家のつまらない教訓を聴くにあたって、親切な先生方が生徒たちに僕の作品をあらかじめ紹介してくださり、また彼らの質問などをまとめてくれていたにもかかわらず、二十数年前とほとんど変わらない校舎の景色に一遍に懐かしさがこみ上げてきた。そして高校時代、何年も好きだった一つ年下の女の子に告白してフラれたことなんかを長々と臆面もなくしゃべってしまった。
今思い出しても顔が赤くなる。なぜもっと後輩たちの質問に向き合うことに時間を使わなかったのだろう。聴講してくれた後輩たちに、この場を借りて反省している旨を伝えておきたい。
生来引っ込み思案で人前に立つのが苦手だったからこそ物書きになった僕が苦手な講演を引き受けたのは、40年生きてきて後輩たちに二つのことを伝えておきたかったからだ。
その一つは、わがままに生きること。仕事柄、僕は10代や20代前半の若者と話すことがしばしばあるが、彼らに将来の目標なんかを聞くと、皆、真面目そうな顔をして「人の役に立つ仕事をしたい」とか「皆と助け合いながら楽しく暮らしたい」なんて、つまらないことを言う。
経験から断言できるが、たかが十何年生きただけで、他人の本当の気持ちなど分かるはずがない。そんなことより、まずは欲を隠さずにがむしゃらに生きてみてほしい。
自分勝手に生きるって、実は苦労が伴う。若い人たちには、今のうちにできるだけ傷ついてほしい。裏切るつらさや裏切られる悲しさ、認めたくない別れや取り返せない後悔、そんなどうしようもなさに、いつかまみれてしまうだろう。でもそれは必要なプロセスだ。なぜなら、傷ついたことがある人ほど、優しくなれるから。
二つ目は、想像する力をうまく使うこと。想像力は、何も創作だけに使うものじゃない。日常生きている中で相手がどう思うか、何を考えているか、ある行動を取った場合に結果はどうなるのか、そういった仮定を常に想像していてほしい。それはつまり”疑問を持つ“ということ。「想像力」と「懐疑」は同義だ。どうか物事を一つの側面だけで判断しないでほしい。
僕が伝えたい二つの事柄は、一見相反する姿勢に見えるかもしれない。でも感情の出どころは一つだということが、きっと分かる日がくるだろう。相手の気持ちを想像しながら、自分勝手に生きること。10年後、20年後、後輩たちが本当の優しさを持って隣人に接することができていることを願って・・・。(徳島県三好市出身)=月1回掲載