気さくな人柄で「大殿下」と慕われた三笠宮崇仁さまが亡くなられた27日、徳島県内からも悲しみの声が上がった。三笠宮さまが来県したのは1972年10月の1度だけで、徳島市の県郷土文化会館(現あわぎんホール)で開かれた第22回日本西洋史学会大会で講演した。
古代オリエント史の研究者だった三笠宮さまは、72年の日本西洋史学会大会で「古代オリエントにおける”天“」と題して講演した。
同大会に参加した横山良神戸大名誉教授(71)=徳島市下助任町4=は当時、京都大大学院生。研究発表する友人の準備を手伝っていたため、三笠宮さまの講演を直接聞いていないが「参加者から非常に素晴らしい内容だったと聞いた。三笠宮さまの研究の熱心さはその後もよく耳にした。亡くなられたのは誠に残念だ」と悼んだ。
三笠宮さまの長男の故寛仁さまと親交のあった種苗メーカー「河野メリクロン」(美馬市脇町)の河野通郎社長(70)は「テレビのニュースで訃報を知り、非常に驚いている。謹んでお悔やみ申し上げたい」と話した。
徳島駅前にいた人たちからも悼む声が相次いだ。久保福子さん(73)=徳島市名東町2=は「悲しい。昭和天皇のお姿に似ており、親しみを感じていた。また昭和が遠くなったという感じがする」と声を落とした。多田博美さん(68)=同市春日3=は「100歳を越えて天寿を全うされた。ご冥福をお祈りしたい」と話した。