写楽に蜂須賀桜。埼玉県越谷市の法光寺で、徳島ゆかりの取り合わせが実現する。だが待てよ。写楽を、ゆかりの、と認知している人はどれほどいようか

 浮世絵を残したのは寛政年間の10カ月間だけ。かつて、謎の絵師東洲斎写楽を巡って諸説が飛び交った。浮世絵師の伝記や来歴を記す人名事典「増補浮世絵類考」にこうある。写楽は天明寛政年中の人で俗称斎藤十郎兵衛、阿波侯の能役者也。ならば徳島ゆかりではないか

 江戸・八丁堀地蔵橋に住み、徳島藩に仕えていた斎藤十郎兵衛が文政3年3月7日、58歳で死亡した―ことを示す過去帳も見つかる。それが冒頭の法光寺だった

 八丁堀近くの築地にあり、1993年に越谷へ。過去帳の斎藤の名が世に出たのは97年のこと。他には阿波屋何某(なにがし)といった名もあるという。樋口円准住職は「築地のころに徳島とのつながりがあったのでしょう」

 境内には、市川鰕蔵(えびぞう)の竹村定之進、大谷鬼次の奴江戸兵衛の大首絵を従えるようにした写楽の記念碑が立つ。並ぶようにして12月、寺の計らいで「写楽の会」「蜂須賀桜と武家屋敷の会」が協力し、蜂須賀桜を植えることに。取り合わせの妙を斎藤も心待ちにしているだろう

 過去帳発見から21年、細々としていたつながりも、桜のように花咲かせたい。2年後、斎藤の没後200年を迎える。