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太陽光発電の電力だけを使った野外音楽フェス「阿波国(あわのくに)・ザ・ソーラーブドウカン」が10月13日、松茂町の月見ケ丘海浜公園で初めて開かれた。力のこもったパフォーマンスで会場を熱く盛り上げたアーティストにインタビューし、ステージの感想や来年以降の開催に向けたメッセージを聞いた。
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仲井戸"CHABO"麗市さん
-ソーラーブドウカンの発起人で徳島市出身のミュージシャン佐藤タイジさんとは昔から交流があるのか。
RCサクセション時代から面識はありましたが、2011年に開催した自分の還暦を祝うライブにタイジが参加してくれたことで親しくなりました。
その縁があって、タイジたちが12年に東京の日本武道館で開いた最初のソーラーブドウカンに出演させてもらって、仲がより深まりました。
-13年から岐阜県中津川市に会場を移した同イベントにも毎年出演している。
東日本大震災や海外でのテロなど悲しいニュースがあふれる世の中で、音楽と自分の力が社会の役に立つなら参加すべきじゃないかと思いました。
タイジは太陽みたいに周りを元気にできる魅力を持ったやつで、日本のエネルギー問題を何とかしたいという彼の挑戦を応援したいとも思いました。
-佐藤さんの地元・徳島での初開催にも駆け付けてくれた。
タイジの地元に対する熱い思いを知っているから、中津川と同じように試行錯誤しながらこのイベントを育ててもらいたいです。自分にできることは協力したいと思います。
自分自身のライブでは徳島に長い間来られていなかったので、このイベントがきっかけになって徳島のファンのみんなと久しぶりに再会できたことはとてもうれしいです。
-このイベントでは若手アーティストと共演する機会も多い。
今回共演したRIZEのJESSEや金子ノブアキのように、昔から知っている子たちが活躍して一緒のステージに立てることは感慨深いですね。
彼ら以外にも、若いけど才能や魅力のあるバンドは多い。年代的にも中間のタイジが間に入って、彼らと出会わせてくれるのを楽しみにしています。
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うじきつよしさん (KODOMO BAND)
-佐藤さんとの出会いは。
1988年に子供ばんど(当時)を休止してから音楽を二十数年やめていたんですが、もう一度やりたいという気持ちが首をもたげてきた時に佐藤タイジっていう生きがいいやつがいると聞いて、会って話してみたいと思いました。
会う約束をしていた日の前日に東日本大震災が起きて、東京も大混乱だったので「どうしようか」とタイジに相談したところ、「地震なんかに負けられない。ぜひ会いましょう」と言ってくれて初めて会いました。
停電で真っ暗なキラー通りで、知り合いがやっているイタリア料理店で会ったタイジは「いかにこの状況に負けずにやるかですよ」と熱く語っていました。それですっかり意気投合して、遅くまで一緒に飲みました。
翌日がタイジが立ち上げたチャリティーライブ「LIVE FOR NIPPON」のスタートだったので、みんなで必要な物資を集めて持って行こうということになって、自分が用意できるものを持って参加しました。
自分が10代で始めて人生を懸けていた音楽は、世の中を動かす力を持っているということを思い出させてくれて、できることをやらなきゃという気持ちにさせてくれた。タイジとの出会いは運命的だったと思います。
-ソーラーブドウカンにはなぜ参加したのか。
2012年に日本武道館で最初に開催された時は、観客として見に行っていたんです。既に音楽活動は再開していたんですが、まだ本格的にはやれていなくて、勘が戻っていない〝浦島太郎状態〟でしたから。
自分で東北を訪れたり、東北に行ったタイジの話を聞いたりしていたので、ソーラーブドウカンの熱気を間近で見て「既存の電力に頼らず太陽光エネルギーで武道館公演をやるってすごいことだな」と実感しました。
公演には吉川晃司も出ていて、自分は吉川のデビュー当時にツアーバンドで一緒に回っていたので、一生懸命やっている姿に「客席で見ている場合じゃないぞ」と思って、タイジに「次は俺も出るよ」と言いました。
徳島でソーラーブドウカンをやると聞いた時も「出てほしい」と言われる前にイベント翌日の宿を押さえました。せっかく徳島に行くのに1日で帰るのはもったいないから。それで「行くからね」とタイジに言いました。
このイベントに参加していたいと強く思うし、音楽を通じて自分にできることがあると感じています。その力をくれたのも音楽で、自分では得意なことだと思うから。最近やっと、そう言えるようになった気がします。
-徳島の印象は。
80年代に子供ばんどのライブで数回来させていただいたけど、長らく来る機会はありませんでした。山に囲まれた中津川も素晴らしいけど、海に近い月見が丘からは水平線が丸く見えて、とってもきれいな場所ですね。
いろんなアーティストとコラボできて、ものすごく刺激的でした。昔、子供ばんどを見に来てくれていた人がたくさん来てくれていて、まるで昨日のことのように語ってくれたのが照れくさかったけど、うれしかったですね。
-佐藤さんは来年以降もフェスを続ける考えだ。
タイジは諦めない男だから、フェスを続けるための努力は最大限すると思います。自分が必要とされているかどうかは分からないけれど、少しでも役に立てることがあるのなら、毎年参加していたいと思います。
ソーラーブドウカンは音楽のパワーを気持ち良く実感できる場所です。中津川で培ってきた、音楽を通じてみんなで自分たちの未来を考えて、つくって行こうというテーマが感じ取れるからじゃないでしょうか。
夢と理想は掲げないと始まりません。照れていたり、気付かないふりをしたりしていては、駄目になることがあると分かっているから。いろんな問題が出るかもしれないけど、みんなの力で解決できるはずだから。
タイジは世界中のロックフェスがソーラーパワーになればいいと願っている。そういう大きな夢を掲げるのはとても大事です。もじゃもじゃの太陽君(佐藤さんのこと)がポジティブなエネルギーを燃やしているのに、徳島の皆さんが乗らない手はないですよ。
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浜崎貴司さん (FLYING KIDS)
-佐藤さんとの出会いは。
シアターブルックのデビュー当時、池袋のレコード屋に行ったらアフロヘアの店員がいて、支払いの時に「シアターブルックの佐藤です」と話し掛けられて、ライブの告知チラシをもらいました。
それが1991年か、92年のことだったと思います。お互いの事務所の人的なつながりもあって、タイジ君以外のメンバーにはそれまでに会ったことがあったんですが、タイジ君とはこれが最初の出会いでした。
その後、Charaのライブに招待されて客席で見ていたら、ド派手なボーカルが登場して、それがタイジ君だったということもありました。その辺からだんだん付き合いが深まって行きましたね。
-今回参加したきっかけは。
タイジ君から声を掛けてもらいました。中津川には2013年の初回から1回休んだ以外は全て出ていて、縁起を担がれている部分もあるのかもしれません。誘ってもらえてすごくうれしいです。
このフェスに参加することで次世代エネルギーの可能性を確認できるというのは意義深いと思いますね。次世代に負の遺産を残さないという意味で、非常に未来ある取り組みだと感じます。
-徳島の印象は。
ここ5年くらいはライブなどで毎年来させていただいていて、阿波おどり会館で賞をもらったこともあります。自分の出身地の栃木県と都道府県ランキングで最下位争いをしているところにもシンパシーを感じます。
今回のイベントは天気にも恵まれて素晴らしかったですね。スケジュールはタイトだったんですが、海が近い会場は気持ちが良くて、エコな雰囲気もあって、独特の空気感に自然と肩の力が抜けました。
-佐藤さんは来年以降もフェスを続ける考えだ。
徳島は好きなので、ぜひ毎年開催して出演させていただきたいですし、何でも協力します。タイジ君が自分の古里でやることに意義があると思いますし、地元の皆さんに盛り上げてもらいたいですね。
FLYING KIDSとしてはまだ徳島に来たことがないので、ぜひメンバーを連れて来て、タイの刺し身などにスダチを搾りまくって食べたり、徳島ラーメンを食べたりしたいですね。