バスの車窓から遠くに広がる景色が金色に見える。稲刈りは随分遅いんだな―とぼんやり眺めていたら、違った。「全部田んぼです。でも、生えているのはセイタカアワダチソウです」。環境省の担当者が説明して程なくバスは福島第1原発に着いた

 事故から7年7カ月たつ。放射線量が高い帰還困難区域の状況は、いまも過酷だ。幹線道路は車が普通に行き交うようになった。でも体をさらす二輪車はだめ。沿道の住宅や店舗に人影はなく蛇腹式のバリケードが立ち入りを拒む

 原発施設内は放射性物質の飛散防止が進み、水素爆発が起きた1~3号機のほぼ足元まで近寄れるようになった。臭いはない。肌に異常は感じない。でも滞在できるのは1時間程度。廃炉作業は難航し、終了時期はまったく見通せない

 第1原発が立つ福島県双葉町は96%が帰還困難区域だ。避難先で住宅を買った人も大勢いるが、町長は「新しい住まいは別荘で、双葉町を本宅としてもらえれば」と復興への希望を捨てていない

 会津若松市に松江豊寿・板東俘虜収容所長の記念碑が立ったのは、1カ月余り前のこと。本県からも鳴門市長らが訪れて祝った。東へ100キロに第1原発がある

 「第九」のアジア初演100年で両県の親交は一段と深まった。見えない脅威に苦しむ人たちへの関心も、なお深めたい。