「地震で揺れている間も逃げてほしい」と津波避難を呼び掛ける国際日本文化研究センターの磯田准教授=牟岐町川長の町海の総合文化センター

 徳島県内で202人の犠牲者を出した昭和南海地震(1946年12月21日)から70年となるのに合わせ、「昭和南海地震70年フォーラム」(県主催)が19日、牟岐町川長の町海の総合文化センターで開かれた。約500人が磯田道史・国際日本文化研究センター准教授(45)の講演などに耳を傾け、近い将来に発生が懸念される南海トラフ巨大地震への防災意識を高めた。

 磯田さんは「被災者の子として昭和南海津波を語りつぐ」と題して話した。母・和子さんが牟岐町の曽祖父母に預けられていた2歳の時に被災し、曽祖父が船大工仲間に地震の後は津波が来ることを聞いていたため、山に逃げて無事だったことを紹介。宝永地震(1707年)では約10分間揺れたとし、「県南部の場合は揺れが収まってから逃げるのでは遅い」と訴えた。

 講演の後、磯田さんと、牟岐町南海道地震津波の記録を残す会の中山清会長(86)=同町灘、県南を襲った過去4回の震災記録をまとめた古文書「震潮記」を現代語訳した田井晴代さん(83)=海陽町宍喰浦=による鼎談が行われた。

 田井さんは、震潮記の記録から、1512年の津波では海陽町宍喰地区で3700人余りの犠牲者が出たことを説明。中山さんは、昭和南海地震で牟岐町牟岐浦の観音寺川から津波が押し寄せ、川の周辺に犠牲者が集中したことを振り返った。

 友人と参加した真崎育子さん(72)=牟岐町灘=は「早く逃げることの大切さが改めて分かった。すぐに逃げられる準備をしておきたい」と話した。