三木武夫元首相が亡くなってから14日で30年になる。

 将来の展望が描けない中で田中角栄元首相のリーダーシップや構想力が再評価される一方、政敵だった三木氏の影は薄い。だが「安倍1強」の下、自民党内に物言えば唇寒しの雰囲気が漂う今こそ、自らを「議会の子」と称し、言論を重んじた三木氏から学ぶべきことは多い。

 三木氏は徳島商業学校在学中、学校側の不正を糾弾して全校ストライキを指揮し、放校処分を受けたのは有名な話だ。国会議員になっても日米開戦に反対し、東条英機内閣下の1942年衆院選では大政翼賛会にくみせず当選した。そこからは反骨のリベラリストの姿が浮かび上がる。

 その一端は70年の自民党総裁選でもうかがえる。党内有力者がこぞって佐藤栄作首相の4選になびく中、「私は行く。私は何ものをも恐れない。ただ大衆のみを恐れる」と、物言わぬ党内の空気を批判し、小派閥ながら出馬。敗れたものの存在感を示した。

 今年9月の自民党総裁選も同じような構図だった。7派閥のうち、竹下派と石破派を除く5派閥が早々に安倍晋三首相支援を表明。盤石の安倍首相に対抗して一人、出馬した石破茂元幹事長は三木氏の事例を引くなどし、安倍1強に警鐘を鳴らした。これが石破氏の善戦をもたらした大きな要因といえる。

 「クリーン三木」と呼ばれたように、金権政治を否定し、政界浄化に取り組んだことも忘れてはならない。三木氏なら、安倍首相の関与が疑われている森友・加計問題に厳しく対処したに違いない。

 金権政治を批判されて首相を退陣した田中氏の後を継いだ三木氏は、折しも発覚したロッキード疑惑の徹底究明を宣言した。これが党内の反発を招き、猛烈な「三木おろし」にさらされたものの、信念は曲げなかった。

 それは、常に国民に目を向けていたからだ。民衆が政治を信用しなければ国は成り立たないという、三木氏の座右の銘「信なくば立たず」の精神が見られる。

 近年、国政・地方選挙の投票率の低下が著しい。国民が政治に信頼、期待を抱かなくなっている表れだろう。三木氏が説く政治家の在るべき姿を思い起こす時である。

 さらに見習うべきは、平和主義を貫いたことだ。佐藤内閣の外相時代に、非核三原則と武器輸出三原則の策定を推進。76年夏には現職首相として初めて広島、長崎の「原爆の日」の式典に出席した。

 首相に就任してすぐ、中国の周恩来首相宛てに日中平和友好条約の早期締結を訴える極秘の親書を送っていたことが、最近明らかになった。早くからアジア諸国との協調を唱え、対話を重視する外交姿勢は現代にも通じよう。

 三木氏の思想や信条は今も色あせていない。現代の政治家には、国民の信頼を取り戻すための道しるべにしてもらいたい。