宝永南海地震(1707年)の際に小松島市で地盤沈下が起きていたことをうかがわせる古文書記録が、徳島県立文書館(徳島市)の収蔵品の中から見つかった。地震による地盤沈下は昭和南海地震(1946年)の際にも県内各地でみられたが、過去にも繰り返されてきたことが推測でき、南海トラフ巨大地震対策の参考になりそうだ。
この古文書は「仕上ル御請書物之事」との題で、享保20年(1735年)に和田島村(現在の小松島市和田島町)の大地主・分平が徳島藩に送った文書の控えとされる。
和田島村南部の間ノ新田では、宝永南海地震による地盤沈下の影響とみられる海水浸入が地震から28年たった当時も収まらず、作物が育ちにくくなっている状況を説明。塩害が深刻な間ノ新田と海の間に新たな田畑を整備して海水の浸入を防ぐことを提案し、藩に借金を要請したことを記している。
それから32年後にはこの場所に新たな田畑が完成したとの記録が別の史料に残っており、地盤沈下の復旧に知恵を絞った住民の苦労がうかがえる。
文書館の金原祐樹課長補佐は「過去に地盤沈下が起きた場所や被害の状況を検証することで、南海トラフ巨大地震の対策にも生かせるのではないか」と話している。
17日午後1時半から文書館の南海地震史料調査委員会が同館で調査報告会を開き、松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館の菅野将史学芸員と鳴門教育大大学院の町田哲准教授らが今回の調査結果について話す。入場無料。