【上】昭和南海地震翌年の1947年に撮影された徳島市沖洲地区など【下】2004年当時の同じエリア。田畑が宅地に変わり、川沿いや海岸で埋め立て地も増えている=いずれも国土地理院ホームページから

 1946年12月21日未明に発生した昭和南海地震から、21日で丸70年を迎えた。この地震が起きた終戦直後と比べると、徳島市では人が住んでいなかった海岸沿いや田畑にも住宅地が形成され、沿岸部の人口は約2・5倍に増えていることが徳島新聞のまとめで分かった。都市化の進展に伴い、当時は見過ごされていた液状化などの被害が南海トラフ巨大地震では顕在化する恐れがあり、専門家は「避難を阻む状況が生まれる」と指摘している。

 1950年と2010年の国勢調査で徳島市の人口を比較した。沿岸部の川内、沖洲、津田、勝占の4地区の人口は、1950年に計2万7022人だったのが、2010年には6万7627人に増加。市全体に占める割合も15・2%から25・6%に拡大した。

 国土地理院が公開している航空写真をみると、1947年に撮影された沖洲、川内などの地区には田畑や水路が広がっていることが確認できる。現在はそうした場所に住宅が立ち並び、川沿いも埋め立てられている場所が数多くある。

 徳島大環境防災研究センター長の中野晋教授(地域防災学)は「下水道が整備されるなど沿岸部は住みやすくなったが、かつての塩田を埋め立てた所も少なくない。地盤は弱く、液状化現象が起きやすい」と指摘する。

 県の被害想定では、南海トラフ巨大地震で4地区の多くが最大2~4メートル浸水するとされる。液状化が起これば道路の陥没や落橋、住宅の倒壊につながり、津波からの避難に影響が出る恐れがある。燃料が入っている車や船が流されれば火災になる懸念もある。

 中野教授は「昭和南海地震で徳島市は被害の記録があまりなく、住民の防災意識は高くないが、社会の状況や地形が変わるにつれて災害危険度が高くなっている場所がある。昔の地形にも関心を持ち、地震でどんなことが起こるかをイメージして備えてほしい」と呼び掛けている。