「昭和南海地震震災碑」に刻まれた母親と叔母の名前に向かい、両手を合わせる天野さん=21日午前9時40分、牟岐町中村

 徳島県で202人の犠牲者を出した昭和南海地震の発生から、21日朝で70年を迎えた。家族や知人を亡くした遺族や、命がけで津波から逃れた人たちは静かに犠牲者をしのんだ。徳島市のアスティとくしまでは「昭和南海地震70年の集い」(県主催)が開かれ、いずれ訪れる南海トラフ巨大地震に対する備えの必要性を訴えた。

 「津波は大切な家族や隣近所の人たちの命を奪っていった。とても寂しいし悲しい」。54人が亡くなった牟岐町に住む天野常子さん(77)=同町灘=は午前9時40分、同町中村の「昭和南海地震震災碑」に向き合った。

 1978年建立の碑には、町内の犠牲者全員の名前が刻まれている。あの日、自分の目の前で津波に巻き込まれた母・奥田フヂヱさんと叔母・邦子さんの名もある。

 2人の名前を見つけた天野さんは、静かに両手を合わせた。「震災で家族を失った悲しみは尽きない。他の人たちには、そんな思いをしてほしくない」。地震が起きたら、早く逃げることを訴えた。

 浅川村(現海陽町浅川)で被災した伊勢田寿惠美さん(91)=同町浅川=は、70年前に津波で荒れ狂った浅川漁港から20メートルほどの自宅で、地震発生70年目の朝を静かに過ごした。「あまりに激しい横揺れに、この世の終わりだと思った。70年はあっという間で、夢のようだった」と振り返る。

 浅川村では県内最多の85人が命を奪われた。その中には、地震の前日に結婚式を挙げたばかりの20代夫婦がいたという。「当時は自分のことで精いっぱいだったが、後からたくさん悲惨な話を聞いた。犠牲者のことを思うと、胸が痛む」と伊勢田さん。自宅近くの「南海道地震津波史碑」(96年建立)に向かい、亡き人たちの冥福を祈った。