安政南海地震で崩れた岩について書かれた石碑=小松島市金磯町

 安政南海地震(1854年)の発生日時や被害について記された新たな地震・津波碑が、小松島市金磯町に残っていることが県教委の調査で分かった。県内の地震・津波碑はこれまでに8市町で38基が確認されているが、この碑で39基目になる。昭和南海地震の発生から70年となった今年、県教委が県内に残る地震・津波碑を改めて調査する中で情報が寄せられた。

 石碑は高さ1・2メートル、幅0・7メートル、奥行き0・2メートル。徳島小松島港金磯岸壁近くの住宅街にある公園の一角に立っている。

 「帽巖(ぼうげん)跡」と書かれた石碑は、周辺の地主だった多田勝太郎が1910(明治43)年に建立した。珍しい形の「烏帽子(えぼし)岩」があったことを後世に残すために建てたとみられる。

 碑文は、安政南海地震の発生日時を示す「安政元年十一月五日寅刻」で始まり、地震で岩が破壊されたことや、岩の大きさ、形などが刻まれている。

 烏帽子岩の名前は、平安時代から江戸時代まで成人男性が使ったかぶり物「烏帽子」に由来しているとされる。船をつないでおくために岸壁に設置されている係船柱(けいせんちゅう)のような形をしており、高さは約7・3メートル、上部の周囲は約13メートル、その下はくびれて根元部分が広がり、周囲は約32・7メートルあったという。

 江戸時代の名勝図絵や開発した新田に関する地図にも登場し、有名な岩だったと考えられる。小松島市史に記述があるものの、最近は知る人も少なくなっていた。小松島高の前校長で県立博物館の湯浅利彦館長が県教委に情報を提供した。

 市史の続編として刊行された市新風土記の編纂(へんさん)委員だった立花秀夫さん(90)=同市小松島町北開=によると、岩は信仰の対象ではなかったようだが、珍しい形だったため、地主が記録のために建てたのではないかという。安政南海地震で小松島中心部は大火に見舞われ、津波で浸水した地域もある。立花さんは「安政南海地震に関する貴重な石碑。大きな被害があったことを知ってほしい」と話している。

 県教委は今後、碑の詳しい調査を進めていく。