スマートな体が選手の手で3度、宙を舞った。新聞放送会館別館前のゴール地点で5年ぶりの胴上げ。「前回とはまた違ううれしさがある」。少し涙ぐみながら感激に浸った。

 3日間、笑顔が絶えることはなかった。初日に首位に立ち、第2日にリードを拡大。主力の一般勢が期待通りに活躍し、育成に力を注いできた中学生も踏ん張った。「最終日に逆転負けした昨年の悔しさを糧に、最後まで勝ち切れるチームを目指してきた」と、完全制覇に胸を張る。

 練習では選手一人一人の個性に合わせ、きめ細かく助言。「坂道に強いとか走りが粘り強いなど、みんな長所がある。それを本番で発揮できるよう、自信を持たせるのが僕の仕事」と言い切る。
 
 徳島駅伝には選手として南部中2年の時から通算30回出場した。ただ、区間賞は徳島東工業高(現徳島科技高)2年時の1度だけ。「万全の状態で臨めず、力を発揮できなかったことが多かった」と振り返る。自らの悔しい経験を基に、選手には口酸っぱく体調管理やけがへの注意を促す。
 
 大会前、徳島市陸上競技場での練習の開始時刻を午後4時半から午後6時半に変更。コーチ陣が仕事を終えてからでも駆け付けられるようにするためで、指導者と選手が顔を合わせる時間が増えるよう気を配った。

 鳴門市内の大塚製薬工場に勤める。徳島駅伝の練習があるときは勤務変更を認めてくれることも。「監督業ができるのは、会社や同僚のおかげ」と感謝を忘れない。

 徳島市多家良町で母親と妻、長女、長男の5人暮らし。42歳。