採取された細胞や組織を検査し、患者の病状を診断する病理医。患者を直接診察する臨床医とは違うが、過不足ない治療ができるかどうかの鍵を握る医師として人命と向き合う。「細胞を見るのは性分が合わないと大変だけど、辞めるほど合わないということもなかったね」

 大阪市生まれ。父は医師で徳大医学部に赴任したため、小中高と徳島で過ごした。父ばかりでなく、父の母方も京都府内で13代続く医師の家系。進学で、医師の道を志すのは自然な流れだった。

 さまざまな診療科目の中から専門科を決める際、相談した父にこう言われた。「臨床に進めば基礎をしようとはならないが、逆ならあり得る。研究したいなら、まずやってみてはどうか」。そんな言葉に背中を押され、基礎医学に軸足を置く病理医を選んだ。医療技術の進歩が著しい時期で診断の正確さは飛躍的に向上。気付けば40年近いキャリアを病理医一筋に積み上げてきた。

 現在は大阪府守口市の病院に勤務し、スタッフと共に年間約6000件の組織診断などに当たる。とりわけ緊張するのが術中迅速病理診断という。手術中のわずかな時間に腫瘍が悪性かどうかや病変部の取り残しがないかなどを判断する業務で「神経を使うけれど、やりがいは大きいね」と話す。

 病理医は人員が少なく、人材確保が課題だ。「女性医師が仕事と家庭を両立させる受け皿の一つとして病理医に目を向けてもらえたら」と期待を込める。「日本の診断力は評価が高く、国際協力に興味がある」とも。

 徳島で過ごした家はないものの、人の縁や川のそばで過ごした思い出は消えることがない。「高校の同窓会など徳島とのつながりは今も深く、やはり懐かしいですよね」。

 しかた・のぶあき 城南高校、関西医科大卒。1978年に関西医大第二病理学講座助手、86年から米国テネシー大医学部に留学。関西医科大付属滝井病院病理部部長など歴任。学生時代はカヌー部に所属し、関西学生カヌー連盟会長なども務める。63歳。