人類初を、すんでのことで逃した男の話である。二宮忠八は、愛媛県は八幡浜の生まれ。「飛行器」の発明家として知られる

 入営した陸軍の野外演習で樅(もみ)の木峠(香川県まんのう町)に差し掛かった際、翼を広げて滑空するカラスの群れを見た。同所に立つ二宮忠八飛行館の資料では、1889年11月9日のことだ

 ああそうか、と思いつく。羽ばたかずとも、翼で風を受け止めれば空が舞える。飛行原理の発見である。1年余りの試行錯誤を経て、聴診器のゴム管を動力にした「カラス型模型飛行器」を完成させた

 「玉虫型」の飛行実験にも成功し、意気揚々と上官に実用化を具申する。「これなら人を乗せて飛べますよ」。上官はにべもなかった。「外国でも聞いたことがない」。後に英国王室航空協会から、ライト兄弟に先駆けた男とのお墨付きがつく発見も、こうしてお蔵入りになった

 ライト兄弟が初の動力飛行に成功する10年ほど前。上官に先見の明があれば航空史は変わっていたかもしれない。この上官は後年、航空機啓発団体の役員に納まる。歴史は今も昔も、相当の皮肉屋だ

 二宮は生涯に1度だけ飛行機に乗ったことがある。「夢で見たのと少しも違わなかった」と、悔しさのにじむ感想をもらしている。京都に「飛行神社」を建立。空の犠牲者の追悼に晩年をささげた。