「千賀は走ってる方が、人生の調子が良さそうやな」。長距離走に打ち込んでいた富岡西高時代に母から言われた。フルマラソンに挑み続ける44歳のいま、その言葉がとてもしっくりくると感じている。
高校卒業後、中断していたランニングを6年前に再開した。当時38歳。慣れない事務の仕事と育児でストレスを抱えて体調を崩した。リフレッシュのため、少し走ってみたら、かつての情熱がよみがえってきた。どんどん距離が伸びるようになり、2011年のとくしまマラソンで初めて完走した。
以来、県内外の10大会以上に出場。地道な練習を重ね、年齢に反比例するように記録が縮んでいく。走ることに夢中になり、思い悩むことが少なくなった。「マラソンを始めて、人生の歯車が再びうまく回りだした気がする」
いつもさりげなく応援の言葉を掛けてくれる中学2年の息子が原動力。9歳の時に毛筆で書いてくれた「夢願う 信じる かなう」の言葉をいつも胸に温め、自己ベストを次々にクリアしてきた。悲願の初優勝を果たして次に見る夢は、2時間52分を切って東京マラソンのエリートの部に出場することだ。
高校時代に核心的な言葉をくれた母は昔も今も娘の挑戦を見守るため、競技場に駆け付ける。今回も「よう頑張った」と抱きしめてくれた。「皆の応援に背中を押され、前へ前へと進むことができる」と家族への感謝の気持ちを口にした。徳島市八万町で夫、長男との3人暮らし。