塹壕(ざんごう)の壁にもたれ、兵士は何を思っただろう。詰まるところそれは、欧州の広野にあっても、日本人とさほど変わらない。そんな気がするのである。第1次大戦の終結から、きょうで100年になる
<父母(ちちはは)が頭掻(かしらか)き撫(な)で幸(さ)くあれて言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる>。父母が頭を撫でて無事を祈ってくれた別れ際のことばがわすれられない(坂口由美子訳)。万葉集は防人(さきもり)の歌から。家族や恋人はどうしているか、畑は大丈夫か。頭に浮かぶのは、例えばこんなことだろう
投入された武器弾薬は、これまでの戦争とは比較にならないほど膨大だった。独仏両軍は備蓄していた弾薬を開戦から数カ月で使い切り、それからは国の生産力が勝敗の帰趨(きすう)を決める史上初の総力戦に突入した
兵士は飛行機や戦車といった新兵器に追い立てられた。大量破壊兵器の毒ガスが初めて使われ、その後始末は今も続く
4年に及んだ戦いの犠牲者は、千数百万人に上る。なのになぜ。理解に苦しむ。戦後処理のまずさは、特異な独裁者を生んだ。そうした事情はあるにせよ、わずか21年後には第2次大戦が始まる。再び世界は血に染まった
第1次大戦を描いた映画「西部戦線異状なし」(1930年)はあの世へ歩く戦死者の列を映し終わる。死者は時折振り返る。何も言わないけれど、言いたいことは明らかだ。