「徳島県だけでなく四国全体のサッカーのレベルが落ちてきている。組織全体の若返りを図り、強化育成をしていかなければならない」。第8代となる県内サッカー界かじ取り役への昇格に、気持ちを引き締める。

 「プレーヤーファースト」がモットー。2008年に教員を退職してからも現場主義を貫く。就任に際し、小学5年から中学3年までを対象としたアカデミーのヘッドコーチと、国体代表総監督の肩書を外さなかったのはそんな思いの表れだ。

 「恩返しのつもりで引き受けた。いろんな人と関わり、培ってきた経験を、これからの指導者に伝えたい」

 徳島市立高サッカー部監督として1992年に県勢初のインターハイ制覇を成し遂げた。98年には全日本高校選抜の監督も務めた。「いい選手を集めただけでは強いチームはできない。どういう戦い方をするかが大事だ」と持論を展開する。

 卓越した指導力に期待が掛かる中、まずは選手や後輩たちの協力を得ながら、一体となって協会運営に当たる方針だ。選手の発掘と育成を強化し競技力向上につなげるため「小中高をベースに地域の縦のつながりを強める」と構想を語る。その上で低迷が続く2種(高校)や国体の成績向上を図る構えだ。

 趣味の盆栽で40年のキャリアがある。国内で最もレベルが高いと言われる国風展に何度も出品しており「盆栽をつくるのに大事なのは、素材を見抜く目と手入れ。選手を見つけて育てるのと似ている」と笑った。吉野川市鴨島町上下島の自宅で妻と2人暮らし。68歳。