四国の代表的な公共交通機関で采配を振ることになった。三好市池田町出身。四国出身の社長は同社では初めてとなる。「四国への思い入れはこれまでの社長に負けないつもりだが、どっぷり漬からず、客観的に四国を見つめていきたい」と気負いはない。

 1967~83年に旧池田町長を務めた故内田太郎氏の次男で、結婚して半井姓に。政治が身近にあったが「人前でしゃべるのが苦手で政治家になるつもりはなかった」と言う。

 城南高から神戸大工学部に進み、土木工学を専攻した。トンネルや橋を造る仕事に憧れ、国鉄に就職。鉄道高架などの計画業務に携わり、87年の国鉄民営化でJR四国に移った。

 印象に残っている仕事として高松駅周辺の再開発事業を挙げ「若いのに中心になってやらせてもらった。非常に思い出深い」と振り返る。直近の6年間は鉄道事業本部長として事故対策に手腕を発揮したほか、予讃線の観光列車「伊予灘ものがたり」を成功に導いた。

 周囲からの人物評は「丸い」「誠実」。当人は「現場主義がモットー。いろんな人と話すと実態がよく分かる。社長になっても生かしたい」。来年4月から土讃線の多度津-大歩危間で観光列車「四国まんなか千年ものがたり」の運行が控えており、自ら古里に足を運び協力依頼する予定だ。

 休日は海釣りとウオーキングを楽しむ。10年余り前にJR四国連で始めた阿波踊りは「病みつき。今年も8月13日に踊りにいく」と本番が待ち遠しそう。長男と次男は独立し、高松市で妻(56)と2人暮らし。60歳。