建築現場や工場などで使う高所作業車を賃貸する会社を京都市で興して26年。「文化財の補修や映画撮影など京都ならではの仕事も多く、面白い商売だね」とほほ笑む。

 旧穴吹町(現美馬市)の中学校を卒業後、集団就職で大阪へ。鉄製品を作る工場で働いていたが、労使の争いが絶えない会社に嫌気が差して退職した。「自動車の整備がしたい」と思い立ち、整備技術が学べてさまざまな資格が取れる自衛隊に入った。

 22歳で除隊後、いとこを頼って京都に移り、運送会社に入社。ここも労働環境は悪かった。従業員30人ほどの会社だったが労働組合を結成し、労働争議に突入した。書記長として団体交渉の前面に立ちながら、アルバイトで家族を養う日々。和解まで5年かかった。「徳島に戻ろうと考えたこともある。でも、仲間を裏切ることはできなかった」

 和解したものの、労使関係は悪いまま。組合員仲間で別の運送会社を設立することになり、労働争議に区切りが付くのを待って新会社に加わった。以来、経営を軌道に乗せるために奔走する。

 7年後、レンタル事業部を分社化して社長に。バブル経済やリーマン・ショックなど景気の浮き沈みを乗り越え、京都市の業界トップ企業としての地位を確立した。「自分が経営者になるなんて思ってもみなかった。しかし、労働者でも経営できるんだという証しになったのではないか」と満足そうな表情を浮かべる。

 生まれ育った地域は75、76両年の台風で大きな被害を受け、転居を余儀なくされた。それでも頻繁に徳島に戻り、5年ごとの同窓会にも欠かさず出席する。「生家がないというのはなんとも言えず寂しいが、一瞬にして子どもの気持ちに戻れる。これからも大切にしたい」と古里に思いをはせた。

 ふじさか・たかお 美馬市穴吹町古宮出身、古宮中卒。運送会社の組合員仲間が1978年に設立した法人「京滋重量サービス」に83年入社。90年、一部署を分社化した「スカイワーク京都」の社長に就き、2012年から会長。京都市在住、72歳。