「景気の浮き沈みはあったものの、今まで続けてこられた。奇跡のような人のつながりに感謝するばかりです」。金型設計やプレス加工を手掛ける工場を大阪府寝屋川市に開いて39年。14人の従業員と共に家電製品や自動車などの精密部品を作り続け、日本のものづくりを支えている。

 6人きょうだいの5番目で、中学卒業後は新聞や牛乳を配って学費を稼ぎながら鴨島商業高校に通った。高校を出た後は堺市の紡績工場へ。3年が過ぎたころ、大阪にいる義兄から「独立するので仕事を手伝ってほしい」と懇願されたのを機に転職し、金型を作る工場で技術を磨いた。

 20代半ばになり、仕事に対する考え方の違いから独立を考えるようになる。元手となる資金も設備もなかったが、たまたま休日に訪れた場所で工場を辞めたいと考えていた経営者と知り合う。とんとん拍子に話は進み、設備などを安く譲り受けて起業を果たした。

 工場を立ち上げても仕事がなければ継続できない。それも人の縁で乗り切った。実直な仕事ぶりを親会社の営業担当者に認められ、仕事は次々と舞い込んできた。

 「さまざまな人との出会いがあって今があると痛感している。良いものを作るためにも、人づくりを大切にした経営を続けていきたい」

 家族を大阪へ呼び寄せたために実家は徳島になく、仕事が忙しかったこともあって徳島には30年ほど前に帰って以来、戻っていない。それでも小学校の同級生とは仲が良く、暇を見つけては同窓会名簿をめくり、誰彼ともなく電話して近況を報告し合う。

 「目をつぶれば古里の日々はありありと浮かぶ。友達と話すうちに『一度戻って来いよ』と声が掛かったので、近く帰省するつもり。どんな町になっているでしょうね」。
 
 おきた・まさあき 吉野川市鴨島町出身。鴨島商業高(現吉野川高)卒。紡績工場勤務などを経て1977年に河内産業を設立。大阪府が定める2016年度の「大阪ものづくり優良企業賞」に認定された。京都府八幡市在住、70歳。