2年連続で花園出場を決めた選手たちの手で4度、宙を舞った。「監督が代わり戸惑いもあったはずだが、子どもたちはよく対応してくれた」。就任1年目の指揮官は優しいまなざしで教え子たちを見つめた。
今春、保健体育教諭として母校に赴任した。練習時間の確保や指導法など、チームづくりを進める上で悩んだことも。「関係者に相談しながら、何とかやってこられた」と周囲のサポートに感謝する。
自身も2006年、主将として全国大会に出場。県勢36年ぶりとなる花園1勝を挙げた。その前年は自らのミスで花園出場を逃しただけに、思い入れのある舞台で挙げた勝利の味は格別だった。「見える景色が一気に変わった。大きな自信を得た」
小学校入学前から楕円球に触れ、大阪体育大ではセンターで活躍。トップリーグのチームから声が掛かる実力者だったが、けがで断念した。高校時代に当時の川真田洋司監督(現国府支援学校)が掛けてくれた「徳島に帰ってこいよ」との言葉が忘れられず、古里で教員になろうと決めた。
指導者として大切にしているのは自主性の尊重。練習中は選手たちに会話をさせ、自分で考える力をつけさせる。「社会に出ても必要なスキルを体得してもらいたい」との思いからだ。
12月中旬に妻が待望の第1子を出産予定。全国大会は同27日開幕で公私とも忙しい年末になる。花園での目標は現役時に届かなかった2勝。実現すればわが子との触れ合いは後回しになるが「大会後の楽しみにします」とはにかんだ。鳴門市撫養町で妻と2人暮らし。30歳。