幼い頃からの夢をついに実現した。5日発表されたバドミントンの女子ダブルスの世界ランキングで1位を守り、リオデジャネイロ五輪出場が内定した藍住町出身の松友美佐紀。159センチの小柄な体に秘めてきた強い思いが、大輪の花を咲かせた。

 ラケットを握ったのは6歳の時。競技経験のある母親の誘いで地元の藍住エンジェルに通い始めた。生来の負けず嫌いもあって練習に打ち込み、藍住東小4~6年時に全国3連覇。徳島中でも3年時に全国中学校大会で団体、シングルスで2冠に輝くなど脚光を浴びた。

 大きな岐路となったのが聖ウルスラ学院英智高(宮城)への進学だ。徳島で競技を続ける道もあったが、強い選手と競い合う環境を優先した。

 同高バドミントン部の田所光男監督の松友の第一印象は「きゃしゃでパワフルでもない」。だが「自分がどうプレーすれば勝てるか分かっていた。人一倍、予見力に優れていた」という。

 田所監督はパワーヒッターだった1学年上の高橋礼華とダブルスを組ませる。2008年3月、全国高校選抜で2人は優勝。8月の全国高校総体も制したほか、11月の全日本総合選手権で4強入りを果たす。松友のうまさと高橋のパワー。現在に続く黄金コンビの誕生だった。

 卒業した10年、日本リーグの強豪日本ユニシスに入り、同年の全日本社会人、11年の全日本総合選手権で優勝するなど躍進。12年のロンドン五輪後の全米オープンも制し、世界ランキングを21位から10位まで一気に上げた。

 世界を驚かせたのが14年9月の仁川(インチョン)アジア大会。王者中国との団体戦準決勝で、ロンドン五輪金メダルペアから勝ち星を奪い、団体で銅メダル。個人ダブルスでも日本女子として44年ぶりの決勝進出を果たし、銀メダルに輝いた。10月30日付の世界ランキングで全種目通じて日本初の1位に。ランキング上位者が争う年末のスーパーシリーズファイナルでは日本勢初優勝を収めた。

 選考レースまっただ中の15年末、帰省した松友は母校の徳島中学での練習会で後輩らを前に「必ずリオに行く」と宣言した。言葉通りに3月の全英オープンや、ランキング発表直前に行われたアジア選手権で優勝し、3月17日以降は世界1位の座を最後まで譲らなかった。