定年直後、知人は鳴門から歩き遍路に出た。約1100キロを43日かけて無事結願したが、その身はさらに引き締まっていた

 日本初の実測地図を作ったことで知られる伊能忠敬の四国測量も、鳴門から始まった。63歳、1808年3月16日、淡路島を出て岡崎村に入り、21日には徳島城下に。55歳の北海道南岸を皮切りに、71歳までの10次にわたる旅路。徳島に入ったのは6次という

 徳島大付属図書館は3種類10点の伊能図を所蔵している。測量地点を示す無数の針穴、米粒よりも小さな文字。今でこそ、高精細デジタル画像で見ることができるが、驚くのは地図の精巧さである。忠敬一行の気概も伝わってくる

 今年は忠敬の没後200年に当たる。平井松午徳島大教授は最終版伊能図が成立した過程の研究を始めた。針穴、彩色、料紙などの化学分析を進める。「究めることに定年はないんです」とは64歳、平井教授の言である

 先日、忠敬の旧宅が残る千葉県香取市佐原を訪ね、酒造などで財を築いた半生と、隠居後も働いた半生をたどった。伊能忠敬記念館で数々の伊能図と向き合う来館者は年間9万人近くに上る

 山口眞輝学芸員は忠敬を描いた作品に触れ、「『一身二生』のような人生に共感を覚える人は多いのではないでしょうか」と言う。後半生を思案する小欄も共感を覚えた。