「真剣に怒ってくれた人」を偲(しの)ぶ会があった。急逝して1カ月半。会を開くのに汗をかいたのは、故人に怒られた「有志」だ。ご家族も招かれ、湿った涙のない、清々とした集いとなった
手抜き仕事には、厳しかった。「それでも記者か」「やめてしまえ」「何年やってるんだ」。顔は紅潮、握りしめた拳が震える。現場を軽んじているとみれば、上司にも容赦なくかみついた
被爆者の取材をライフワークとし、あるときは特ダネを追う事件記者、あるときは取材チームの仕切り役。立場や勤務地が変わっても、仕事への姿勢はぶれなかった
「情熱の証(あかし)」と題された追悼文集は、後輩たちの「感謝」で満ちていた。こんな一節もあった。「つらい状況でも逃げずに向き合い、ダメなときは叱ってくれる人の存在が、厳しい世の中で生き抜くのにどれほど貴重か」
今、「真剣に怒る人」が減っている。パワハラと訴えられれば、「熱血指導」では済まされない。国はパワハラ防止策を企業に義務づける方針を打ち出した。それでも、人を育てるには、真剣に怒らなければいけない局面がある、と思う
文集は「私たちは、あなたから多くのことを学びました」と締めくくられていた。仕事に打ち込み、家族を愛した。真っすぐな生き方が、若い世代の道しるべになるなら、何よりの供養だ。