牟岐の宿を後に雨の中を行く。笠(かさ)も眼鏡も吹き飛ばす風も吹く。漂泊の俳人種田山頭火は八坂八浜を歩いた。徳島への2度目の旅、1939年11月のこと

 そんな足取りや生きざまに光を当てた企画展「阿波路の山頭火」の資料集めのため、県立文学書道館の亀本美砂事業課長が松山市を訪れた日も雨だった。それも土砂降り。ついのすみかとなった一草庵への徒歩、引き返そうか、いや「ままよ」を繰り返す

 雨に導かれ、山頭火の心境を追体験するように入った庵(いおり)を起点に、縁は広がり、展示品にも巡り合う。「よい宿が見つかつてうれしかつた」などと書かれた四国遍路日記の複写、鳴門から句友に宛てた写真入りのはがき、行乞(ぎょうこつ)の旅に携帯した鉄鉢

 亡き母を慕い、携えていたのだろうか。句友の版画に墨書で「母 南無観世音」と記した和紙には折り目がある。写真や遺品などが並ぶ同館3階の一角は「方丈」のようにも見え、今、山頭火が立ち上る

 「あがいても、どうにもならない。業を背負い、ひたすら歩き、真っすぐに句を作った山頭火の姿に触れてもらえれば」と亀本さん。格闘して作りだした句に人は癒やされ、励まされるとも

 「初めて行乞らしく行乞した」牟岐から、八坂八浜を抜けて宍喰へ。山頭火が歩いた道々を、たどってみたくなる。企画展は来年1月20日まで。