「未来につながるように、紛争や事件を解決するのが裁判所の役割」と、36年のキャリアで培われた持論を展開する。例えば刑事裁判では、有罪の被告人に罪を償わせるとともに、再犯に至らないようにしなければならない。同時に、被害者が判決を機に前に踏み出せるようにしたい。そんな思いを胸に職務に当たってきた。
8月に広島高裁長官に就いた。「裁判所が役割をしっかり果たせるよう、環境整備をするのが長官の仕事」。急速な少子高齢化やグローバル化、情報通信技術の進展で、複雑な事件が次々に起きている。ハード、ソフト両面の機能強化によって対応する考えだ。
来年、導入から10年を迎える裁判員制度の在り方も気に掛かる。「裁判員の辞退率が高まっている。できるだけ関わってもらえるようアピールしていく必要がある」
父の転勤に伴い、中学・高校時代を徳島で過ごした。天体観測や音楽に夢中の「ナイーブな青春を送った」。その反動からか、人間と社会への洞察を深めたいとの思いが強くなった。「そのために法律を学ぼう」。そう考えたのがこの道を歩むきっかけになった。
手掛けてきた裁判は、世間の耳目を集める大事件から、遺産相続のような親族間紛争まで幅広い。1993年の山形マット死事件に端を発した少年法改正に携わり、司法行政の経験も豊富だ。
大蔵省(現財務省)証券局に出向した89年からの2年間は、銀行と証券の兼業を禁じた銀証分離の撤廃など畑違いの分野で奮闘した。「ちょうどバブルがはじけた時期で大変だったが、印象に残っている」と振り返る。
都内の自宅に家族を残して単身赴任。「食べ物はおいしいし、いろんな文化に触れることができて毎日楽しい」と笑顔を見せた。
だいもん・たすく 大阪府生まれ。富田中、城南高を卒業。京都大法学部に進み、1979年に司法試験に合格。東京地裁判事補を皮切りに、大阪地裁判事、最高裁家庭局第一課長、東京地裁判事などを歴任。千葉、横浜、東京の3家裁で所長を務めた。63歳。