日本の真珠湾攻撃による太平洋戦争の開戦から8日で77年になる。

 太平洋戦争では、日本だけで民間人を含めて約300万人の犠牲者を出した。その反省や戦没者の追悼は、もっぱら8月15日の終戦記念日に行われるため、開戦の日を知らない人は多い。

 これはおかしな現象に思える。「過ちを繰り返すまい」と決意を新たにするのは、誤った方向に足を踏み出した開戦の日こそふさわしいのではないだろうか。

 徳島県内では毎年、開戦の日に合わせて「八の日・平和を守る女たちの会」と「県母親大会連絡会」が街頭で反戦・平和を訴え、徳島人権・平和運動センターは「12・8徳島反戦集会」を開いている。悲惨な戦争を招いた過ちの原点を「開戦」に見いだし、平和の尊さを訴える人たちの活動を支持したい。

 開戦に関しては、さまざまな検証が行われてきた。多くの研究者が指摘するのは、当時の政府や軍部の指導者たちは「敗北必至」と分かっていたことだ。

 対米戦争に突き進もうと考えた内閣は一つもなかった。海軍には「兵力はもって半年か1年」との見方もあった。陸軍が一流経済学者を集めた通称「秋丸機関」は「米英と日本の経済力は20対1」と報告していたという。

 にもかかわらず、なぜ米国に戦いを挑んだのか。

 直接的なきっかけは1941年8月の米国の対日石油全面禁輸とされ、日本の仏領インドシナ、中国からの全面撤兵と三国同盟の死文化などを要求するハル・ノートを、同年11月26日に突きつけられたことで決定的になったというのが通説だ。

 このままでは日本はじり貧になることから「自存自衛」のためにやむを得ず開戦に踏み切ったとするのが、時の指導者たちの主張である。

 新聞も、戦争回避を模索する政府を「弱腰」「軟弱外交」と批判し、開戦を後押しした。軍は膨大な予算をかけて対米戦の準備をしており、戦争をしなければ、軍の存在意義が問われるとの意識があったとみられている。

 そうした当時の状況を振り返ると、指導者たちに明確な展望があったわけではなく、一部の強硬論やムードに流されて開戦に至ったという感が強い。

 政治学者の丸山真男は、「まずい」とは思いながらも、周囲の空気を読んでいるうちにどうしようもなくなり、日本を戦争に引きずり込んだ組織の体質を「無責任の体系」と呼んだ。

 最近相次いでいる大企業の不祥事は、「いけないこと」と分かっているのにやめられず、何となく既成事実が積み上がっていき、引き返せなくなるケースが多い。戦前の無責任体質が日本の組織にいまだ巣くっている証左だろう。

 戦争の教訓は生かされているのだろうか。開戦の日に考えたい問いである。