「忠臣蔵」で知られる赤穂藩家老、大石内蔵助の遺書ともいえる手紙が徳島市の徳島城博物館に寄託された。

 60年以上、所在がはっきりしなかった一級の史料だ。同館は、忠臣蔵と徳島の意外な関わりを新たな魅力として発信していくことにしている。歴史ファンならずとも大きな関心を示すだろう。

 手紙の日付は1702(元禄15)年12月13日。四十七士が吉良上野介邸に討ち入った前日だ。

 約50行にわたって討ち入りに至る経緯や決意、死に直面した内蔵助の心境がつづられていて興味深い。文面からは主君であった浅野家の再興の望みがついえたことが契機となったことが分かる。

 さらに注目されるのは後半の「阿州へも可然御通達奉頼候」の一文だ。「阿波の人にもよろしくお伝えください」という意味である。内蔵助を陰で支えていた人物が徳島にもいた事実に驚く。忠臣蔵に対する見方は大きく変わるに違いない。

 同時に、研究者には新たなテーマが突き付けられることになった。

 手紙の受取人である三尾豁悟という人物は徳島藩家老の子息で、大津に住んでいた。内蔵助と同様、藩祖蜂須賀家政の子孫だが、これまで歴史にほとんど登場したことがない。しかし、史料は皆無ではないという。

 2人の交流を解き明かすことができれば、赤穂事件と徳島との関係がさらに見えてくる可能性もある。今後の研究の進展が待たれよう。

 忠臣蔵は浄瑠璃や歌舞伎の演目として知られるほか、たびたび映画化、テレビドラマ化されて大衆の心をつかんできた。

 絶大な人気から観光客の誘致にも利用され、兵庫県赤穂市や、義士の墓がある泉岳寺(東京)では、毎年12月14日に義士祭が盛大に催される。義士を祭っている赤穂大石神社や、赤穂城跡などは人気の観光スポットだ。

 あまり知られていないが、本県にも赤穂義士と関わりのある名所旧跡はある。その一つが徳島市の興源寺で、内蔵助の曽祖母に当たる蜂須賀家政の次女万の供養塔がある。

 四十七士のうち、近松勘六の継母、奥田貞右衛門の母は徳島藩士仁尾清右衛門の娘、近松かめであった。義士2人を育てたこの女性は、夫と共に同市の慈光寺に眠る。本県でも忠臣蔵ゆかりの歴史遺産を町おこしやイメージアップに活用できないだろうか。

 手紙は徳島城博物館で24日まで開かれている特別展「討入りとその周辺」で展示されている。16日には特別展の一環として、これらの名所旧跡を巡る初のイベントがある。毎年12月には、同館が所有する義士の錦絵などと一緒に手紙を館内に展示し、PRすることも計画している。

 内蔵助の手紙の寄託をきっかけに埋もれた歴史に光が当たり、地域の魅力再発見につながることを期待したい。