2月に亡くなった田井晴代さん=海陽町宍喰浦=から以前、名刺代わりに、と頂いた「震潮記」を再び手に取る。先祖で、組頭庄屋を務めていた久左衛門宜辰が残した安政南海地震の克明な記録を、現代語に訳した労作だ

 1854年12月25日(旧暦11月5日)の当日、宍喰の様子である。<家々の軒は落ち、また、瓦の飛ぶこと投げ打つようで、壁は落ち潰れ家など続出した。沖からは潮煙を立てて波が押し寄せ、老人、病人または幼い者を助け、手近な山へ逃げのぼった>

 安政南海地震は、震源域の半分で大地震の起きる「半割れケース」に当たる。南海トラフ巨大地震で今、被害の及んでいない地域の沿岸住民の一斉避難が検討されている種類の地震である

 次がいつ来るか分からないのに、一斉避難は非現実的との声もある。しかし巨大地震が東海地方を襲えば、本県も無関係ではいられない。現に「震潮記」には、前日の安政東海地震の揺れに驚き、逃げ惑う人々の姿が記されている

 仮に同じ経緯をたどるなら、東海地震の段階で住民は避難を始める。報道で被災地の惨状を知れば、避難も長期化するだろう。一斉避難の状況は、いや応なく現実となる

 避難所一つとっても、それに耐え得るかどうか。地震への心構えや備えは十分か。泉下の晴代さんも気掛かりでならないはずだ。