沖縄と聞けば、寺前学さんの顔と声が思い浮かぶ。社民党徳島県連の代表を長く務め、人権、平和運動を牽引(けんいん)した。とりわけ沖縄の米軍基地反対運動では、3年前に亡くなるまで徳島のシンボル的存在だったと言っていい
1972年に沖縄が本土復帰したその日、居ても立ってもいられず現地へ飛んだ人。以来毎年のように足を運び、集会やデモに加わった。会えば静かな笑みをたたえ、口調は穏やか。それが沖縄問題に触れると一変、まなじりを決し、鋭く語った
反基地のデモ行進に同行取材したことがある。復帰25年の街を住民と歩き、怒りに任せて放った一言が忘れられない。「政府は凶暴だ」。がんと闘い旅立った4カ月後、頑として反対していた安保関連法が成立したのは何の因果かと、今も思う
寺前さんの顔と声がまた、である。普天間基地を移設する名護市辺野古沿岸で、埋め立て土砂の投入が始まった。透明度の高い海が土色に濁っていく
辺野古への移設反対を訴えた前知事には「丁寧に説明しながら理解を得る」、遺志を継いだ現知事にも「県民の気持ちに寄り添う」。首相が会談で伝えた言葉は、この日の辺野古の光景にどうも重ならない
生きていたなら、寺前さんはきっと現場にいただろう。怒髪、天を突き「凶暴だ」と叫んだに違いない、あの日と同じように。