新年の招待客に尾頭付きのタイは出すのか、出さないのか。昭和最後の師走となった30年前、宮内庁では熱い論争が続いていた。昭和天皇の容体悪化で、日本列島を自粛ムードが覆っていた
元日恒例の「新年祝賀の儀」に訪れる賓客は700人ほど。儀式が終わると、軽い酒食のもてなしを受けた後、折り詰めを手に、皇居を後にする。その主役は焼いた尾頭タイだ
大きさや形をそろえた700匹。大量注文だけに、請け負った業者もすぐには調達できない。容体急変で祝賀儀式が開けないような事態となれば、発注倒れになる恐れがあった
「そもそも陛下がお苦しみの時に、めでたい料理を出すのはどうか」。そんな理屈で「タイ抜き」論が優勢になった。ところが、有力侍従が「例年通り」を主張。「それが、お上(昭和天皇)の思し召しだ」と押し切った
みそかが近づくと、宮内庁の地下1階が特別調理場に変わった。全国から参集した約百人の調理師が、突貫工事のように腕を振るう。憂いの中で年が明け、タイは折り詰めに収まるが、わずか1週間で昭和は平成になった
「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶ」。天皇陛下は国民へのメッセージでこう気遣われた。退位の決断には、あの日々の記憶がある。