第1次世界大戦(1914~18年)の終結から100年になる。戦車や化学兵器(毒ガス)によって無差別の大量殺りくが繰り広げられた、忌まわしい記憶である。

 数ある激戦地の中でも、ドイツに占拠されたベルギー北西部のイーペルは、化学兵器が初めて使われた街として知られる。市民は負の遺産に苦しみながらも、悲惨な史実を語り継ごうと懸命だ。

 イーペルと唯一の被爆国である日本は、大量殺りく兵器が初めて使用された点で共通する。経験を踏まえ、平和啓発で連携していきたい。

 イーペルでは15年4月、ドイツ軍が6千本もの塩素ガス爆弾を放ち、フランス兵らを殺傷した。さらに、皮膚がただれるマスタードガス爆弾も投入し、被害を拡大させた。

 初の総力戦となった大戦では、一般人を含む約1千万人が犠牲となった。このうち毒ガスによる死者は10万人前後に及ぶとされる。

 「舞い上がった毒ガスがゆっくりと敵の塹壕(ざんごう)へ向かい、襲った。まるでガスの雲だった」。ベルギー・フランダース政府観光局のクーン・デュムーランさんが語る、現地に伝わる様子は生々しい。

 周辺地域では毎年200トン前後の不発弾が見つかっており、3分の1はガス弾である。工事中に爆発したり、漏出ガスで汚染された土壌に触れたりして、死傷者が絶えないという。

 化学兵器は国際的な禁止条約があるものの、今なお各地で使用されている。シリア内戦でも度々使われ、被害状況がインターネット動画で流れたのは記憶に新しい。

 イーペルの不発弾は軍が除去している。早期に一掃するためには、国際支援が欠かせない。化学兵器廃絶に向けた取り組みも同様で、地球規模で手だてを尽くすべきだ。

 終結100年となり、ベルギーでは、大戦は欧州だけの戦争ではなかったという認識が強まっているという。

 特に注目されているのは日本との関連だ。地元の博物館では今秋、「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」と「特別展・日本と欧州大戦」が開かれた。

 写真や文献で戦争被害などの実態を伝える内容で、国内外の児童生徒が修学旅行で大勢訪れたそうだ。

 非人道的な大量殺りく兵器がもたらした悲劇は、後世に伝えていかなければならない。日本とベルギーが連携する意義は大きい。

 特別展を企画した地元レーベン大の歴史家ヤン・シュミット准教授は、世界の現状に懸念があると話す。大戦当時に反目し合ったドイツと英国の関係が、現在の中国と米国の関係に重なるのだという。

 「第1次大戦後、もう戦争はしないと誓った。なのに第2次大戦までの『戦間期』の努力がなぜ失敗したか。世界でポピュリズム(大衆迎合政治)や右傾化が進む今こそ考える意味がある」と話す。

 愚かな歴史を重ねないため、共に考えていきたい。