親が子を、子が親を殺害する事件が徳島県内で相次いでいる。裁判記録などから事件の背景を探ると、障害のある子どもの介護・看病疲れや将来への不安を抱えながらも、相談相手がおらず社会から手を差し伸べられることもない「孤立した家族」の存在が浮かび上がってくる。家族に何が起きているのかを考える。
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「母として、最後にしてあげられることだ」。1月31日朝、小松島市の民家。この家に住む母親(68)は自分に言い聞かせながら長女=当時(39)=の首にひもを巻き、両手に力を込めて引っ張った。約18年間、精神障害を抱える長女のケアを懸命に続けた末の決断だった。
長女は21歳ごろに強迫性障害と診断され、ほとんど外出しなくなった。自分の意思に反して過剰な心配が執拗(しつよう)に浮かび、その不安から逃れるために同じ行為を繰り返してしまう疾患だ。「不潔さ」に恐怖を感じ、トイレの後は3時間も手を洗い続けた。他人はおろか父親さえも「汚い」と寄せ付けず、母が唯一、近づくことを許された家族だった。
長女は「お母さん、そばにいて話を聞いて」と甘えた。昼夜関係なく4時間でも5時間でも付き合う母。家事以外の時間は長女の世話に費やし、徳島地裁であった公判では「つらいと思わなかった」と振り返った。
事件の4年ほど前、長女が子宮内のポリープ切除手術を受け、状況が悪化した。免疫力が低下し、微熱や下痢、じんましんなどの症状を訴えるようになり、その影響からか精神状態はさらに不安定になった。
機嫌がいい時は母に甘えてくるものの、悪ければ何かに取りつかれたようだった。夜中に呼び付けては「謝れ。頭を下げろ」と3、4時間怒鳴り散らした。母は真冬でも床の上に正座し、頭を下げ続けた。
家事を手伝ってくれていた夫はその頃、単身赴任で県外にいた。疲労がたまり、車の運転中に事故を起こしたこともあった。
心身とも限界に達したが、「心が折れていたわけではない。娘の世話から解放されたいと思ったことは一度もない」と裁判官に向かってきっぱりと話した。
流産などを経験し、結婚7年目に3度目の妊娠で授かった一人娘。子育ての苦労と喜びを教えてくれた大切な存在だった。殺害を懇願されなければ、この先もずっと一緒にいるつもりだった。
「引きこもっていたって、生きていてくれさえすれば良かった。おいしい物を食べさせて、ずっと守ってあげようと思っていた」。証言台で、絞り出すようにまな娘への思いを打ち明けた。
〈小松島市の嘱託殺人事件〉小松島市の民家で、母親が精神障害を患う長女に頼まれ、バスローブのひもで首を絞めて殺害。母親は犯行後に自身で腹や首を切って自殺を図ったが一命を取り留め、殺人容疑で逮捕された。3カ月間の鑑定留置を経て嘱託殺人罪で起訴。徳島地裁は9月末、「精神的、肉体的に疲弊し、著しく追い詰められた状態だった」として懲役2年6月、執行猶予4年の判決を言い渡した。